6月5日(金)「団徳市」とは何か?

  • 麻雀放浪記(二) 風雲編 (角川文庫 緑 459-52)
  • 『麻雀放浪記(二) 風雲編 (角川文庫 緑 459-52)』
    阿佐田 哲也
    KADOKAWA
    704円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

 ただいま小学館より、『色川武大・阿佐田哲也電子全集』(全23巻)が配信中である(毎月第四金曜日に配信)。これは、色川武大・阿佐田哲也の全作品、エッセイはもちろんのこと、生原稿や構想メモ、プライベート写真などの貴重な付録も掲載したもので、「生誕90年、没後30年記念企画」と銘打たれている。

 2020年6月末に配信されるのが第15巻であるから、もう半分以上が配信ずみ。私は阿佐田哲也の巻の解説12本を担当していて、その担当分はあと5本でようやく終了することとなる。たぶんその関係と思われるが、数カ月前に知人からメールがきた。

『麻雀放浪記 風雲編』に「団徳市」という言葉が出てくるのですが、これは何と読むんでしょうか──とのメールである。知り合いにそう質問され、いくら調べてもわからないので私にまわってきたようだ。

 団徳市? なんだろう。まず、現物を確認しなければならない。風雲編のどのあたりに出てくる言葉なのかを尋ねると、角川文庫版の180ページに出てくるとのこと。そのくだりを引く。

「お前のことなど訊いてへん。この団徳市をどうさせる気ィなのか、訊いてるのや」

 もう少し説明しなければわかりにくいかもしれない。

『麻雀放浪記 風雲編』は、坊や哲の関西放浪編である。時代は昭和26年。したがって昭和37年まで存在していた大阪中央競輪場が出てくる。いまは長居陸上競技場になっているところに、競輪場があったのである。

 身ぐるみはがれた「ぎっちょ」がこの競輪場にやってきて、知り合いに偽情報を教えている現場を「ほくろ」に目撃される。「教えろよ、情報やろ」と迫られ、口からでまかせのグーパツ(贋八百長)なんやと言いだせず、締め切りのベルが鳴ったのでそれならとその偽情報を教えると、ノミ屋で買ってくると「ほくろ」は駆けだしていく。先に引用した部分は、レースが終わってから、「おのれは、どんな恨みがあって、グーパツかませるんや」と「ほくろ」から迫られる場面なのだ。

 普通に考えれば、その「ほくろ」の本名が「団徳市」と読むことが出来る。阿佐田哲也の小説では、本名で呼ばれることが少なく、この「風雲編」でも、クソ丸、タンクロウ、ニッカボッカと、次々に出てくるが、ステテコが小道岩吉で、ぎっちょが西村と本名で呼ばれるケースはあるものの、これは例外の部類。本名が呼ばれないまま、場面が終わると物語の表舞台から消えていくことが少なくない。

 しかし、質問の主に「人名ではないようです」と言われると、そんな気もしてくるし、競輪場の場面なので競輪に関する隠語なのかも、との気もしてくる。

 で、知り合いにいろいろ聞いたりしたのだが、結局わからなかった。戦前に、団徳麿という芸人がいたようなので、その人物に関することなのかも、と教えてくれた人もいたが、たとえそうだとしてもその意味がわからない。

 いったい何の話を書いているのかと言われそうだが、この機会に「風雲編」をまた読んだのである。これが何回目なのかわからないほど読んできたが、何度読んでも阿佐田哲也は面白い。

「風雲編」は特に、坊や哲がヒロポン中毒で街をふらふら歩いているシーンから始まる長編で、どうしたんだ坊や哲、と思っていると次々に個性豊かな人物が立ち現れて、物語にどんどん引きずりこまれていく。

 阿佐田哲也は永遠に不滅である、と申し上げたいのである。

4月21日(火)昭和43年の「映画展望」

 野間廣道についてネットで調べていた。彼は、明治大学の映画研究部時代の、同期の友である。和泉校舎時代は私が支部長、彼が副支部長。3年になって駿河台の校舎に移ってからは彼が委員長で、私が副委員長だった。二人で勉強会を開いていたこともある。お茶の水駅前から駿河台下まで歩いていくと、明治大学の校舎が切れる角がある。その角を右に曲がってまっすぐ進むと、いまはコンビニになっている突き当たりに(今で言うなら、さぬきうどんの丸香の向かい側だ)、「ピッコロ」という喫茶店があった。

 そこで勉強会を開いた時期があった。テキストは、先輩の菊池仁が書いた映画評である。これが難解でわからなかった。当時は、難解な映画評を書くことが流行っていた。すぐにわかるようなものを書いてはダメなのである。だから理解するのが大変である。

 いつも温厚な廣道が、一度だけ怒ったことがある。それはある先輩が、無名人の書いた評論をテキストにしたって意味がない、と言ったときだ。私は、ふーん、そういう見方もあるんだ、と思っただけだったが、廣道はその先輩に反論した。

 興味のない著名人よりも、興味のある無名人のほうをテキストにするのは当たり前でしょ、と彼は言ったのである。あるいはその先輩は、同期の菊池仁の評論を私たちがテキストにしていたことに嫉妬していたのかもしれない。

 野間廣道は大学を卒業後に東洋シネマに入り、CFの世界で活躍したが、ずいぶん若くして亡くなった。ネットで調べてみると、「若き七人の侍」として彼を紹介している専門誌があった。

 それを購入しようかどうしようかと迷いながら、なおも調べていくと、思わず自分の目を疑ってしまった。何なんだこれは?
 そこにはこうあったからだ。

「映画展望 特集号 明治大学映画研究部 目黒考二/夏目漱石試論 昭和43年4月」

 ぼんやりとした記憶が、遠いところからゆっくりと蘇ってくる。そうか、個人誌だ。当時はサークルの機関誌以外に、みんなが勝手に個人誌を作っていた。そのすべてはガリ版誌だ。原稿は、サークルの先輩や後輩や同期の面々に依頼するのだが、同人誌ではなく個人誌というのがミソ。私も後輩たちのガリ版誌に依頼され、何度か原稿を書いたことがある。

 その古書店のリストには続きがあり、そこにはこうあった。

執筆 野間廣道 栃木裕 仙田弘 西田稔 萩原法英 傳健教 保科義久 目黒考二 あつたかずお 菊池仁

 ここに「野間廣道」の名前があったので検索に引っ掛かったものと思われる。古書価2000円というので購入した。

11808698711602.jpg


 送られてきたのはガリ版誌ではなく、孔版印刷で作られたA5版58ページの小冊子だった。奥付には、印刷所として「東雲堂印刷」とあり、私の生家の住所が記載されている。私の父が孔版印刷屋を営んでいて、「東雲堂印刷」とはその屋号である。どうやら父に頼んで印刷製本してもらったようだ。

「映画展望」という誌名なのに、映画評論は少なく、みんなが勝手にいろんなことを書いている。

 私の書いた原稿のタイトルは、

「フランケンシュタイン」の系譜〔邪道の正統派〕としての夏目漱石試論

 というもので、いま読むと、何を書いているのか、その意味がまったくわからない。それは他の人の原稿も同じで、野間廣道のタイトルは、

「インク・ブルー」アンド「エメラレルド・グリーン」−−あるいは逆子の美学

 というもので、これも意味不明な内容で、何を書いているものやらさっぱりわからない。簡単に理解できるものは書いてはダメ、と信じていたころなので、難解さを競っていたのか。思い出したのが「あつたかずお」君の書いた原稿のタイトルで、

水色地底舗道のピエロ群れ

 カッコいいなあと思った当時の記憶が蘇ってきた。中身はいま読んでもさっぱりわからないが。

 執筆者について少しだけ書いておけば、仙田弘はずっと後年、本の雑誌社から『総天然色の夢』を出した。萩原法英は本の雑誌社が新宿御苑にあったころ、近くの会社にいたので飲み屋で会ったことが数回ある。萩原、元気か。保科義久は卒業後にNHKに入り、ドラマ班に配属されて、活躍した。仙田も萩原も保科も、私の1年後輩である。

 あのころ書いた原稿の一つに、「グルグル・イルベーク」というタイトルの評論がある。後輩の個人誌に依頼された大学四年のときに書いたものだ。手元には残っていない。たぶん、いま読んでも意味不明の原稿と思われるが、出来れば読んでみたいと思うものの、雑誌名を忘れてしまったので探しようがない。今回の「昭和43年の映画展望」のように、奇跡的に古書リストに載ることがあるだろうか。大学生のガリ版誌だから、絶対に無理だよなあ、でも出てきたら面白いよなあと、妄想がひろがっていくのである。

3月9日 『暗渠パラダイス!』と『贋の偶像』

  • 文明開化に馬券は舞う―日本競馬の誕生 (競馬の社会史)
  • 『文明開化に馬券は舞う―日本競馬の誕生 (競馬の社会史)』
    立川 健治
    世織書房
    8,800円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

 高山英男・吉村生『暗渠パラダイス!』(朝日新聞出版)を読んでいたら、141ページで手が止まった。なんなんだこれは!

 そこには1枚の写真が掲載されていて、次のようなキャプションが付けられていた。

「グライダーの試験飛行を板橋競馬場でおこなったときの絵はがきより。当時は今よりもずっとレースの開催頻度が低く、競馬場でさまざまな催しが行われた」

 この『暗渠パラダイス!』は、『暗渠マニアック!』(柏書房)に続く共著で、競馬場と暗渠の関係はその中の一つである。板橋競馬場の写真(いや、実際には絵はがきだが)で手が止まったのは、ずっと板橋競馬場が気になっていたからだ。

 現在の板橋区栄町を中心にしたあたりにあった(明治41年〜43年)板橋競馬場の場所は、私の生家に近いのである。そんなところに競馬場があったなんて信じられない。矢野吉彦『競馬と鉄道』に「板橋競馬」の広告が載っていて、「王子駅より人車20分」「板橋駅より人車10分」とあり、東武東上線の大山駅から近いのに、どうしてそんな遠方から人力車に乗るんだろうと思ったが、考えてみればまだ東武東上線が開通していなかったころである。ちなみに板橋競馬場は、明治41年〜43年と先に書いたけれど、実際に競馬が行われたのは明治41年だけで、しかも全部で11日間だけである。

 この「板橋競馬場」については資料がほとんどなく、写真を見たこともない。と、「サンスポZBAT!」に書いたら、それを読んだ立川健治氏(『文明開化に馬券は舞う』(世織書房)で馬事文化賞を受賞)が、資料をどさっと送ってくれた。それがあまりに膨大な量であったので全部読み終えるのには時間がかかりそうだが、その中に1枚の写真があった。中央新聞に掲載されたスタンドの写真で、それが唯一の板橋競馬場の写真だという。新聞に載った写真のコピーなので、残念ながら見にくいが、「唯一」なのだから大変に貴重な資料といっていい。

 そういうときに、この『暗渠パラダイス!』に掲載された絵はがきを見たのである。写真ではなく、絵はがきという点は残念だが、それでも往時を偲ぶよすがにはなる。

 立川健治氏の資料で、えっと驚いたのは、板橋競馬を主催したジョッケー倶楽部の理事長が長田秋濤という人間で、その評伝小説が中村光夫『贋の偶像』だという記述であった。なにそれ?

『贋の偶像』は1967年に野間文芸賞を受賞した作品だが、長田秋濤は明治の忘れられた文学者で、中村光夫はこの作品でその長田秋濤にスポットライトを浴びせたのである。

 関係ない話だが、実は私、中村光夫の授業を受けたことがある。中村光夫は明治大学で教えていたのだが、あるとき大教室の授業のとき、後ろの学生が「聞こえません」と大声で言ったら、「前に来い!」と怒ったことがあった。中村光夫はいつもぼそぼそと喋るので、たしかに後ろの席では聞こえにくかったろう。私はそれを知っていたのでいつも前のほうの席にいたのだが。当時の明治大学には、平野謙と本多秋伍もいた。高橋和己も短い間だが、私が在学中に明治で教えていたことがある。私は平野謙が好きであったので、卒論のゼミは平野謙を選んだ。閑話休題。

『贋の偶像』を読んでも、長田秋濤と競馬の繋がりは確認できなかった。フランスに留学しているときに、上流社会の集会場であった競馬場に出入りしていたこと。馬を2頭持っていたと新聞に書かれていること。板橋競馬が開催した明治41年には、文学者(あるいは政治家)としてのピークは過ぎていたこと。食えなくなって関西に移住したこと−−などを確認するだけであった。

 当時の新聞には、板橋競馬にはなぜか婦人の姿が多く、その中にはジョッケー倶楽部の理事長の愛人もいるのではないかとの噂を紹介されているが、長田秋濤はそちら方面にも活発であったようなので、なるほどと思ったりもする。いや本当にその理事長が長田秋濤のことなのかどうかはわからない。『贋の偶像』ではその時期、長田秋濤は関西にいたようなので、開催のときだけ上京したのか、それとも理事長職は名前を貸しただけなのか、詳細は不明。

 これ以上のことは私にはわからない。立川健治氏はただいま『文明開化に馬券は舞う』の続編をまとめているようで(その「馬券黙許時代の競馬」は2巻になるようだが)、それが完成すれば、もっと詳しいこともわかるに違いない。上梓は来年だという。おお、それまで元気でいたい。

IMG_0709.JPG



1月7日(火)書評家4人の2019年解説文庫リスト

〔大森望〕
1月『オーパーツ 死を招く至宝』蒼井碧(宝島社文庫)
2月『アンフォゲッタブル』松宮宏(徳間文庫)
5月『グッド・オーメンズ』 ニール・ゲイマン&テリー・プラチェット/金原瑞
人・石田文子訳(角川文庫)
5月『涼宮ハルヒの驚愕』谷川流(角川文庫)
6月『ビビビ・ビ・バップ』奥泉光(講談社文庫)
7月『三体』劉慈欣/大森望・光吉さくら・ワンチャイ訳(早川書房)※
7月『クサリヘビ殺人事件 蛇のしっぽがつかめない』越尾圭(宝島社文庫)
8月『夏をなくした少年たち』生馬直樹(新潮文庫)
  『フロリクス8から来た友人』フィリップ・K・ディック/大森望訳(ハヤカワ文庫SF)※
  『おうむの夢と操り人形 年刊日本SF傑作選』大森望・日下三蔵編(創元SF文庫)※
10月『死なないで〈新装版〉』井上剛(徳間文庫)
12月『息吹』テッド・チャン(早川書房)※

〔ひとこと〕
 翻訳・編纂などに自分が関わった作品(末尾に※印を付したもの)を除くと、2019年に出た純粋な文庫解説は8本。5本にまで激減した2018年に比べてやや持ち直した感じですが、それ以前の9年間(平均13冊強)と比べるとやっぱり少ない。もっとも、最近だんだん文庫解説を書くのに疲れてきて、昔よりずいぶん時間がかかるようになっているので、まあこのくらいがちょうどいいかも。
 ところで、2019年に刊行された北上次郎氏の『書評稼業四十年』(本の雑誌社)には、文庫解説稼業についてもかなり詳しく書かれているので、毎年このリストを見るのを楽しみにしているような人はくれぐれもお見逃しなく。



〔杉江松恋〕
1月『秘密』ケイト・モートン/青木純子訳(創元推理文庫)
3月『ノッキンオン・ロックドドア』青崎有吾(徳間文庫)
4月『Xの悲劇』エラリー・クイーン/中村有希訳(創元推理文庫)
6月『短編ベストコレクション 現代の小説2019』日本文藝家協会編(徳間文庫)
  『夫が邪魔』新津きよみ(徳間文庫)
7月『世界を救う100歳老人』ヨナス・ヨナソン/中村久里子訳(西村書店)
  『デブを捨てに』平山夢明(文春文庫)
  『ザ・ボーダー』ドン・ウィンズロウ/田口俊樹訳(ハーパーBOOKS)
8月『喜劇 愛妻物語』足立紳(幻冬舎文庫)
  『悪寒』伊岡瞬(集英社文庫)
  『ひとり旅立つ少年よ』ボストン・テラン/田口俊樹訳(文春文庫)
  『カジノ・ロワイヤル』イアン・フレミング/白石朗訳(創元推理文庫)
  『戦場のコックたち』深緑野分(創元推理文庫)
11月『赤毛のレドメイン家』イーデン・フィルポッツ/武藤崇恵訳(創元推理文庫)
   『クローバーナイト』辻村深月(光文社文庫)
   『破滅の王』上田早夕里(双葉文庫)
12月『失われた地平線』ジェイムズ・ヒルトン/池央耿訳(河出文庫)

〔ひとこと〕
 2018年は14冊でしたが、2019年は17冊と少し増えました。海外と国内の比率は、前年が6/14だったのに対して今年は8/17、海外小説の解説をもっと書きたいと言い続けてきましたので、これもいい方向に進んでいると思います。以前から熱望していた古典作品をいくつも手掛けることができたのは本当に嬉しくて、以前に手掛けた『トレント最後の事件』『矢の家』に続き、『赤毛のレドメイン家』まで解説を書けて幸せです。あとはヒルトン『学校の殺人』を書ければ創元推理文庫の旧おじさんマークでやりたい本はだいたい揃うのです。
 国内は、ありがたいことに作家の指名で依頼をいただいたものが多く、気に入った作品について書くことができました。どれも愛着のある解説です。
 解説は本の一部として、おまけの付加価値があるものではないといけないと思っています。そのためには、他の人が書いていない発見を盛り込みたいと思っていますし、作者も気づいていないような角度からの読解がそこに入っていればなおいい。また、作品の欠点だと感じるところは、なるべく指摘するようにもしています。どんな作品だって完璧ではないわけで、その欠点も小説の一部として愛でるのがいちばん有意義な読み方なんじゃないのかな。



〔池上冬樹〕
1月『ママがやった』井上荒野(文春文庫)
2月『英雄の条件』本城雅人(新潮文庫)
4月『密告はうたう 警視庁監察ファイル』伊兼源太郎(実業之日本社文庫)
4月『社賊』森村誠一(集英社文庫)
5月『自殺予定日』秋吉理香子(創元推理文庫)
6月『許されようとは思いません』芦沢央(新潮文庫)
7月『真夏の雷管 北海道警・大通警察署』佐々木譲(ハルキ文庫)
8月『ア・ルース・ボーイ』佐伯一麦(小学館 P+D BOOKS)
10月『海の稜線』黒川博行(角川文庫)
12月『闇という名の娘』ラグナル・ヨナソン/吉田薫訳(小学館文庫)
12月『ジャパンタウン』バリー・ランセット/白石朗訳(ホーム社)

〔ひとこと〕
 2010年は17冊、11年は19冊、12年は15冊、13年は21冊、14年は15冊、15年は18冊、16年は27冊、17年は13冊、18年は9冊、そして19年は11冊。平均すると16冊になるが、今後は10冊前後に落ち着くのだろう。みなそれぞれ良書で、読む価値があるのだが、個人的好みであげるなら『闇という名の娘』になるだろうか。これは女性刑事を主人公にした警察小説ですが、同時に女性刑事の私小説ですね。それも老年に達しかけている女性刑事の私小説。こういう書き方もあるのか、いや、こんなに日本の私小説的でいいのかという思いも抱きました(詳細は解説参照)。
 なお、『ア・ルース・ボーイ』は新潮文庫に続いての文庫化(つまり二次文庫。ちなみに新潮文庫の解説は山田詠美)。三島由紀夫賞を受賞した名作ですが、資料をあたり、当時の選評を入手して書いてみました。選考委員は江藤淳、大江健三郎、中上健次、筒井康隆、宮本輝という豪華メンバーで、各氏がどのように佐伯作品を評したのか、ぜひご覧ください。その後の佐伯文学を見通す意味でも価値はあると思います。



〔北上次郎〕
1月『まさかまさか よろず相談室繁盛記』野口卓(集英社文庫)
2月『悪魔の赤い右手 殺し屋を殺せ2』クリス・ホルム/田口俊樹訳(ハヤカワ文庫)
  『疾れ、新蔵』志水辰夫(徳間文庫)
3月『誰がために鐘を鳴らす』山本幸久(角川文庫)
5月『神奈備』馳星周(集英社文庫)
  『猟犬の國』芝村裕吏(角川文庫)
6月『ブラック&ホワイト』カリン・スローター/鈴木美朋訳(ハーパーBOOKS)
  『椎名誠〔北政府〕コレクション』椎名誠/北上次郎編(集英社文庫)※
9月『ひりつく夜の音』小野寺史宜(新潮文庫)
10月『愛しい人にさよならを言う』石井睦美(中公文庫)
   『影絵の騎士』大沢在昌(角川文庫)
   『生者と死者に告ぐ』ネレ・ノイハウス/酒寄進一訳(創元推理文庫)
11月『北海タイムス物語』増田俊也(新潮文庫)

〔ひとこと〕
2019年は、これ以外に「色川武大・阿佐田哲也電子全集」(小学館)の解説を3巻書いたが、純粋な文庫解説は12点(※は編者解説なので)。点数的には例年通りか。いちばん嬉しかったのは、『椎名誠〔北政府〕コレクション』。以前から椎名誠の「北政府もの」をまとめてみたかったので、長年の夢が実現して嬉しかった。2020年は、「色川武大・阿佐田哲也電子全集」の解説を7巻書かなければならないので、文庫解説の点数は減るかも。しかし出来れば、2019年同様の12点はクリアしたい。怠けないように、とただいま自分に言い聞かせている。

11月25日(月)ブコウスキーの競馬

 ブコウスキーが競馬について長々と語っているインタビューがあるので、まずはそこから引く。

「競馬をやるとへとへとになる。英語で暇潰しのことを「時間を殺す」と言うが、各レース間の三十分は「時間の殺戮」そのものだ。そのうえ有金を全部すっちまった日には目も当てられないぜ。しかし家に帰ると思う。「よし、今度こそわかった。こういう仕掛けなんだ」新方式を発明するのだ。が、競馬場に戻ってみると状況が変化してるか、自ら別の賭け方に走るか。せっかくの方式を放棄してしまう。かくて馬の入場。てめえの節操がどの程度のものか、競馬をやれば一目瞭然だ」

「昼日中からサラブレッド競争に出かけて、間を飛ばしてまた夜間の二輪馬車競争に賭けるってこともある」

 このインタビューには「馬券代稼ぎ」というタイトルがつけられている。これは、朗読会ってそんなに嫌なのかいというインタビュアーの質問に対して、次のように答えたところからつけられているのだと思う。

「まるで拷問だよ。でも、競馬代を稼がないとさ。人に朗読してるんじゃくて、馬のために朗読してるようなもんだ」

 日本でブコウスキーが注目され始めたのは90年代の半ばで,『町でいちばんの美女』が新潮社から出たあたりだろう。そのころに出た「ユリイカ」のブコウスキー特集号を見ると、この作家に対して多くの人がくそみそに言っているのが面白い。

 たとえば川本三郎は「飲んだくれで、女好きで、なまけもの。金があれば安酒場で飲み、いい女を見るとたちまちやりたくなる」と書いている。あるいは、柴田元幸は「遺作『パルプ』の愉快さも、同じ徹底的ないい加減さから生まれている。まったく、こんな無責任なミステリー小説のパロディは見たことがない」と書いている。

 もちろん、そういうふうにさんざん腐したあとに、それでも魅力的なこの作家をみなさん熱く語っているのだが。

 とにかく競馬の話が多い。どの本を開いても、競馬が飛び出してくる。「聞いて損はない競馬の話」「もう少し競馬について」(どちらも『町でいちばんの美女』)は最初の1行から最後まで全部競馬の話だ。

 郵便局勤務の体験をもとにわずか19日間で書き上げたデビュー長編『ポスト・オフィス』には、「おれはいつも、本命の馬をやっつけるダークホースを探す」とあり、前走と今走を比較して検討するシーンが出てくる。きちんと予想しているとは意外だった。晩年書かれた『死をポケットに入れて』には、次のような箇所もある。

「競馬場でかすりもしない一日。行きの車の中で、わたしはいつも今日はどの必勝法のお世話になろうかとじっくりと考える。必勝法は六つか七つは持っている」

 もっとも、前記「ユリイカ」所載の対談で、青野聰は興味深いことを語っている。

 そのために資料を調べて、懸命になる。そして外れて帰ってタイプに向かう。「前のレースは汚かった」とか「調教師はどうの」とかよく書くんだけど、〔調べる自分〕は本当は好きじゃないみたいね。

 そりゃそうだろう。そんなに熱心にデータを調べていたら、ブコウスキーのイメージが違ってくる。こういう人には破天荒に賭けて、破天荒に負けてもらいたい。

 ブコウスキーの賭け方は、単勝一本やりだったようだが、それはともかく、おやっと思ったのは、『勝手に生きろ!』の中の次の記述だ。

「ジャンとおれは、ロス・アラミトスについた。土曜だった。そのころ、四分の一マイルレースはまだ目新しかった。十八秒で勝ち負けが決まるのだ。当時の正面観覧席は、ニスも塗ってないただの板が何列も続いているだけのものだった。競馬場に着くと混んできたので、おれたちは席取りに新聞紙を広げて置いておいた。それから、競馬新聞をじっくり見ようとバーへ下りた」

 ここに出てくる「四分の一マイルレース」を知らなかった。四分の一マイルとは、400メートルだ。なんと、たった18秒で決着のつくレースとは、驚いた。もちろんサラブレットではないのだろうが、そんなところにまで出かけていたとは、ブコウスキーはホントに競馬が好きだったのだろう。なんだか途端にこの作家に親近感を抱くのである。

 ちなみに、ブコウスキーは1994年、73歳で亡くなったが、その死の直前に書かれた日記には次のような一節がある。

「今日のわたしは二七五ドルの勝ちだった。わたしは競馬をずいぶん遅くから、三五歳になってから始めた。それから三六年間ずっとやっているわけだが、ざっと見積もってわたしはまだ競馬に対して五〇〇〇ドルの借りがある計算だ。とんとんにして死ぬには、神様にあと八、九年は生かしてもらわなければならないことになる」

 1ドル110円として5000ドルということは、55万である。36年間で55万しか負けてない! なんと1年間に1万5000円しか負けてないのか! この男、ものすごく馬券名人だったのではないか。親近感を感じたばかりだが、途端に嫌いになった。

« 前の記事